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第二十一回 I LOVE BUTTON DOWN SHIRT


ボタン・ダウンのシャツ(BD)というものをはじめて見た、もしくは認識したのは、1960年代中頃だと思います。僕は、小学校高学年です。

当時、兄が好きだったアメリカのフォークソング・グループ―例えばブラザース・フォア、キングストン・トリオ、ピーター、ポール&マリーみたいな連中―が、太い縦ストライプのBDを着て写っているレコード・ジャケットなどから知った、という記憶があります。

全員お揃いだったりしました…つまり、ユニフォームというわけです。彼等は、元々アメリカの学生コーラス・グループ出身だったりするので、その学生らしさの延長のような清潔感みたいなものが、BDシャツのイメージにはありました。

一方、中学に入学してからは、それまで知らなかったタイプの友人たちと知り合い、その中には、当時として先進的におしゃれな連中(でも、学校や親から見たら不良…?)が何人もいました。

ちょうど、隣の駅にVAN SHOPなるものができて、友人はその買い物に僕を誘ってくれました。チャボというあだ名の友人です。そこで、僕はBDとはアイビー・スタイルという一つの洋服ジャンルの中の1アイテムであることを知ったのです。

実は、兄が聴いていたフォークソング以上に魅力的なロックというものを知り始めた頃でもあります。ロック・ミュージックは、なんだか‘良い子’のフォークソングよりも格好良いゾ、と思うようにもなってきていました。

この時期、僕にとってのBDは‘デザインもののシャツの中のひとつ’で、ビートルズやローリング・ストーンズが着ているヤツ、というイメージがありました。今となっては意外でしょうが、当時の若い英国バンドの多くはBDシャツを着ていました。ファッション史的に分析すれば、あれはモッズの影響でしょうね。モッズの若者やミュージシャンにとって、BDは単にアメリカン・カルチャーと結びついたものではなかったようです。

リチャード・レスター監督の傑作であり、大ヒット作のひとつでもある‘HELP’の主演はザ・ビートルズですが、劇中でもB4の連中はBDを着ています。カジュアル・ウェアのひとつとして。

そんな観点で、僕はBDを着ていました。そういうBDが好きでした。

しかし、皮肉なもので、BDについて知れば知るほど、それ以前は憎からず思っていたその存在が逆方向に向かいました。

それまでの僕にとって、‘ジョージ・ハリソンやチャーリー・ワッツが着ている洒落たシャツ’だったものが、‘アメリカ東部の保守的エリート、及びその子弟たちのユニフォーム化されたスタイルを代表するシャツ’と認識が変わった時点で、そんなものはキライだ!となってしまったのです(かわいそうなBD…)。

今や僕はロック好き。音楽の嗜好も、より先進的で実験的なものの面白さへと向かいます。新しいもの、エクスペリメンタルなもの、そして‘反体制’なものが好きでした。ルールのある服やユニフォーム的なものは、許せなかった…!

僕は、純正のアイビー好きのアイビー少年、だったことはないのです。
しばらくは、BDを着ない時期が続きました。

でも、やはりシャツのデザインとして、BDには得がたい魅力があります(軟弱なヤツ!)。70年代初頭になり、僕はアイビー・スタイルのルールではなく、シンプルさや合理性に着目するようになっていました。様々な服にトライするなかで(つまり、様々なミュージシャンの格好にスグ影響される個人史の結果…)、アメリカでアイビー・スタイルとして完成されたモノの持つ合理的な美しさを理解し、共鳴するようになっていたのです。でも、ルール化はやっぱり嫌いでした。そこは今も変わりませんが…。

そして、再び、BDを頻繁に着るようになっていました。シンプルさを極めていったもの、つまりBDのようなトラッド・アイテムには、長く付き合える友人のような誠実な味わいと存在感があることを発見したのです。

今思えば、ファッションの表面にある流行性や、単純に目立つことの格好良さよりも、質実剛健なものの持つ本質的な心地良さに目覚めた時期だったのかもしれません。中身がある、ということの格好良さ、というか…

ロックの嗜好も歌詞の面白さや、凝ったサウンドメイキングの面白さを追うようになっていました。ジェネシス、トラフィック、スティーリー・ダン、みたいな感じで。

その後、グラム・ロックの衝撃で一旦、真逆に振れたりもしましたが(影響されやすいヤツ!)、どちらかと言えば結局は職人のシゴトの完成度や追及し続ける姿勢に共鳴することで、今の自分の価値観や美学が形成されていった気がします。単に説明抜きに美しいもの、とヨクデキの完成度の高いもの、とのバランスが重要。

こうして、様々な格好をしながら、いつでも僕の傍らにはBDが存在するようになりました。70年代末期に僕が洋服業界に入った頃は、アメリカでもプレッピーブームで、トラッドの再評価が盛り上がっていた時期、アメリカの新興ブランドがそれぞれ独自のBDを提案していました。

エリが小さめだったゴードン、典型的なアメリカン・トラディショナル柄が得意のノーマン、縫製が丁寧で素材も一格上だったインディヴィジュアライズド・シャツ、ラルフ・ローレンの別注商品を作っていたアイク・ベーハー、ブルックス・ブラザースのシャツを作っていたトロイ・シャツメーカースetc.

そして当時から、僕は自分のアイデアをカタチにした別注BDを商品化したりもしていました。BDのように基本形がしっかりとあるアイテムは、それをアレンジする作業も楽しいのです。

こうして僕にとってのBDは、あこがれる対象(ジョージの、チャーリーのBD…)から、着る対象となり、一時はキライになり、次に再評価し、さらには心を許せる対象となり(大げさなヤツ!)、研究する対象となり、一緒にビジネスをしていく朋友となりました(ヨカッタネ!)。

さて、2007年春の時点で、僕の周りには実に様々なBDたちがいます。最近再び人気のインディヴィジュアライズド・シャツのBD、アメリカン・メイドの素朴な味わいを今に甦らせたザムラーのBD、根っからのトラッド好き・オーセンティック好きがデザインするマイケル・タピアのBD、トラッドをエクストリーム化してモードに持っていったトム・ブラウンのBD、UAバイヤーの村松氏がパリで作ったBD、ワンポイント刺繍が洒落ているバレンシャガのBD…一方、オリジナルでは、襟がやや大きめでイタリアン・クラシックなクロージングに合うユナイテッドアローズのBD、ボディーが細めのディストリクトのBD、やや角型の小襟が特徴のビューティー&ユースのBD…

どのBDたちも魅力的です。興味のないヒトから見たら、何でそんなに同じものをたくさん持っているのか?と疑問視されるでしょうが、それぞれの、時には微細な違いを味わう楽しみもあるわけです(ですよね?)。

皆さんはいかがですか?BDとのお付き合いをぜひ楽しんでください!

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